嗚呼、素晴らしき哉、入院生活

ある一人の男の入院生活記 my biography→twitter:milesonts1958

A great precursor (研究室以外の人とも話したらどう?って話の導入)

久方ぶりの筆不精、maTTunです。

 

前回記事で「博士課程に行くんだ!」と大見得張ったはいいが、なんと私就職活動何というものをしております。何というか非常に心変わりの激しいのは「そういう時期」だ、ということでご容赦を頂きたく存じます。

まぁ、就活で少し忙しくなったのか半休学状態は続いていて、ラボには多大な迷惑を掛けていますが、まぁこれも自分の人生とを天秤にかけた非常にエゴイスティックな決断であります。(それ以外の理由も勿論あるが)

 

 

実はまぁ、あの後自分が博士課程に進むべきなのかということを再度非常に悩んでおりました。今もですが。それはこのまま、自分がこの独特の風土の中やっていけるのか、というのが理由の98%を占めていると思います。

そんな中一人の助教授との出会いが僕を、迷宮のようなデフレスパイラルから連れ出してくれたのです。

今日はまぁその方との話を交えて研究室だけが世界と潜在的に思っている方に素敵な逃避行少しでもくよくよを取り除く方法についてお話ししたいと思います。

 

 

 

その助教授との出会いはバイト先でした。どうやら常連のようで週に一度は来店して下さってます。その方とは分野は違いますが研究棟は近いのでよく食堂などで、会ったら少し話をし、お店でも世間話や結構ディープな話をする仲になりました。

ある日のこと、お店のシフトがオフでその方とお店で飲んでいた日曜日のことです。僕がふっと「僕は何者にもなれません。周りと比べて優秀でもないし、努力も足りない。このままやっていける自信は無いから休学してしまおうか」何ていう超ネガティブ鬱々モード全開で、普通にこんなこと言われたらめんどくさい奴だなと普通に思われ兼ねない事を冗談交じりに言うと、何時もは温厚で笑顔の絶えない方ですが、何時になく真剣な眼差しで僕を見て「それだけはやめた方が良い」と語りかけました。

その後、自分が昔オーバードクターをしたこと、その時の自分の心境、院での休学・留年は「荷物」を先延ばしにしてしまうこと、次の年からはその年と前年の分を持ちながら進まないといけないこと

等々、身の上話を交えながらこんな僕に対して親身になって相談に乗ってくださったのです。そして

 

「君はまだ23歳だ。何をするのにも遅すぎることは無いし、色々な事が出来る。何もドクター取らなくたって、企業の研究者でも公務員でも、先生にでもなればいい。僕は君がうらやましい。あぁ彼女欲しい

 

と声をかけて、ポンと肩を叩いて下さったのです。僕はもう、完全に涙目でした。知り合って間もない人なのにここまで僕のことを考えてくれているかという事に対してと何だかすっと胸のつかえが取れた気がしたのです。

 

はてさて、そこから僕は今まで行っていなかった就活を行うことにしたのです。とはいっても僕は「シューカツ」が大嫌いです。マジで吐き気がします。

だけども自分がどこまで出来るか分からないが可能性を広げる意味で就活してみよう。良い企業が残っていて内定頂いたら、よく考えて就職しよう。ダメならダメで来年一年はどこか山の上で働きながらを頭を冷やし、就職か進学か考えてどっちかに決めようと。

しかしまぁこれは問題の先送りでダラダラするのは、僕のパーソナリティ上、必定なので、ただ一つの絶対的なルールを定めました。つまり「モラトリアム」は一年。つまり来年度までがデッドラインと定めました。両親ともども叩き上げの企業人だったようで言うのは怖かったですがあっさりとています。

「いいよ。一年だけな。応援してるぞ。」なんて事を言われ、またここでも涙腺が崩壊したことを覚えています。

 

と言った経緯で就活することにしました。先述の通り僕は「シューカツ」が吐き気がするほど嫌いなので、会社は厳選して本当に行きたそうな企業だけに絞りました。実際は十社ほどです。対策時期が遅く無駄とは分かっていても公務員も説明を聞きに行き、受験しました。それは自分の可能性を広げる意味でも来年また受ける場合に参考にするための実地調査的な意味合いでしたが。真面目に受験された方には冷やかしのようで非常に申し訳ない。結果はお察しでしたがね!

 

 

 

私事で恐縮ですがここいらで区切りさせていただきます。

題名のお話は次回(余力が残っていたら今夜、あるいは明日)に回させていただきたいと思います。ここまで読んでくださっている方には非常に申し訳ありませんが、しばしお待ちを・・・

次回は親が「モラトリアム」を許した理由から、僕の「シューカツ」アレルギー、そして題名のお話へと入りたいと思います。